糸氏2012年度後期幹事長にインタビューを行いました。インタビュアーは報道幹事です。
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Q1 糸氏幹事長の生い立ちをお聞かせください。

 京都府に生まれ、中学高校は開成学園に通っていました。質実剛健を掲げ自由な校風を誇りとする学校でしたので、実にのびのびとさせて頂きました。専ら部活動のバスケットボールに打ち込み、両親からまさかこの道で喰っていく訳ではなかろうねと不安がられたことは懐かしいです。非常に無口でしたので偶に喋ると糸氏が喋ったと驚かれる有様でした。部活動でも声を出せと何度言われたか知れません。雄弁会ホームページのブログ(2011-10-31『オニイサン、カッコイイヨ』)でも書きましたが、中学生の時旅行先でカンボジア人の反ベトナム感情と接触し、それ以降人間のあらゆる活動の根底にある精神性に深く興味を持つようになりました。宗教、特に仏教については、安泰寺や成田山新勝寺などに一時期滞在して思索しました。しかし、私の勉強不足もあり仏教では望む答えが見つからず、大学進学後はその若々しい活力と宗教的厳格さに心惹かれてイスラームを勉強しています。

Q2 雄弁会に入った理由と雄弁会の良さについて教えてください。

 人と議論することをせずに、自分の中でもどのような価値観を抱いているのか判然としなかったものですから、大学に入った当初はとにかく不安で、自分がどのような道に進んで行けば良いのかさえ分からない状態でした。雄弁会は新歓活動もすべて議論に次ぐ議論でありますから議論によって自分がどのような価値観をもっているのかをはっきりさせたい私にとってはうってつけでありました。また、自分の理想とする社会像から天下国家を語るその姿や、その姿の裏にある熾烈な議論と研究活動に惹きつけられました。誠実さというのは単に人に阿ることでもなければ聞き流すことでもありません。その点でこれほどに誠実なお付き合いができる団体はそうはないと思います。

Q3 どのような雄弁会にしたいか、意気込みと合わせて教えてください。

 思いがけない巡り会いのことを「邂逅(かいこう)」と言います。18の頃、「読書とは、著者の魂との邂逅である」という亀井勝一郎先生の言葉に出会い、それ以降「邂逅」という言葉を非常に大事にして参りました。邂逅という言葉について、例えば吉川英治の三国志を読めば義心にあふれた劉備が私の頭の中に現れます。同じく北方謙三の三国志を読めばハードボイルドで侠に満ちた劉備が、横山光輝の三国志を読めば心優しき劉備が私の頭の中に現れて、やれ長坂の戦いでは劉備はどれほど勇猛であっただろうとか蜀漢を建国した時にどのようなふるまいをしたのだろうとか私の頭の中の劉備たちが議論し始めるわけです。だから同じ吉川三国志を読むにあたっても、北方三国志を読んでから読むのと、横山三国志を読んでから読むのとでは、また受ける印象も読感も全く異なるのです。只今非常に滑稽な文章を書きましたが、邂逅という営みもまた非常に滑稽で面白おかしい営みであります。哲学者プラトンは師ソクラテスが毒人参をあおって死んだ後も、様々な問題に対して師ソクラテスであればどのように答えたのであろうかと常に自問自答し、頭の中での師との対話を一連の対話篇に綴りました。このように邂逅という営みはまた、自分の頭の中で行われる営みでもあるのです。私の期の雄弁会に於いては、会員の皆様の心の中に実はどのような理想が潜んでおるのか、自分自身と邂逅して頂きたく思います。そして、邂逅することの滑稽さと面白おかしさを味わっていただければと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

(文責:高野)