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幹事長インタビュー

2018年度後期幹事長に就任した、小林大起会員にインタビューを行いました。聞き手は報道担当官です。

Q1. 小林幹事長の生い立ちをお聞かせください。

1998年8月に母の旅行中のハワイで生まれ、その後高校卒業まで群馬県太田市というスバルのお膝元の街で育ちました。私立の、小中高一貫の英語イマージョン教育を導入している学校に入りましたが、人付き合いが苦手で、小学生の頃は大体クラスで孤立していました。中学に上がってからは剣道部に入り、三年間剣道一筋で過ごしました。また元々歴史好きだった私はその頃から、社会の動きを決定する要素として政治に興味を持つようになりました。しかし漠然と興味を持っていただけで、特に政治に関する本を猛烈に読んでいたわけでもなければ選挙演説を見に行ったりしたこともなく、毎日、新聞の一面と国際欄を眺めていただけでした。何かしら物事に熱中するのが苦手だった私は、爆発的に自らの知識欲を満たすような行動に出ることはなく、一方で興味が無い分野の勉強には嫌気がさし、高校時代は遅刻や欠席を繰り返す毎日を送りました。
ただ、それと共に部活での経験を通じて、ある程度社会に対し責任を負わなければならないかな、というような考え方も持つようになりました。また厳しい稽古の中である程度の忍耐も覚え、それが受験に向けての勉強の助けになりました。そうして元々得意だった英語を使い早稲田大学国際教養学部に入り、今に至ります。

Q2. 雄弁会に入った理由と雄弁会の良さについて教えてください。

元々政治に興味があった自分は、人前で話すのが苦手だったことも相まって、政治について学びながら「話す」技術を上達させようと雄弁会の門を叩きました。新入生として弁論を作る中で実感したことは、このサークルはいわゆる「話し方」や人にウケるスピーチのテクニック等を得る場所ではなく、自らの「理想」や、「やりたいこと」に合わせて活動をさせてくれるサークルだということでした。当初の目的からは外れているように聞こえてしまいますが、自分の「やりたいこと」を突き詰めて考えることは非常に楽しく、また弁論大会に向けての先輩方の丁寧な指導や練習などを通じ、結果的には人前で話すことにそこまで緊張しなくなりました。
また、議論をよしとする風潮の中で、同級生や先輩など多くの人たちと本気で意見を交わすことを通じ、自分の意見を胸襟を開いて聞いてくれる先輩方や切磋琢磨し合える同期、共に成長できる後輩など、多くの仲間を手に入れることができました。これはどの時代の雄弁会にも言えることだと思います。

Q3. どのような雄弁会にしたいか、意気込みとあわせて教えてください。

私自身あまり人前で話すのが得意でなかったこともあり、雄弁会に入るのに必ずしも「雄弁」である必要は無いと思っています。むしろ、「雄弁」でない人に「雄弁」になるための道筋を見せてあげるのが雄弁会だと思っています。しかし元来、「雄弁」とは単なる「話し方」やスピーチのテクニックではありません。「声なき人に声を」とはよく使われる言葉ですが、「声なき人に声を与える」だけでは足りない。雄弁会の結成趣意はこの会の目的を「一世を動かす雄弁家を作る」こととしていますが、「雄弁」とは「一世を動かす」までのものでなければなりません。それは、自らの主体性で以て社会を動かすことと言い換えてもいいでしょう。無論、そうしたことを大学の4年間でできるかと問われれば多くの人はできないでしょう。しかしまずは最初の一歩として自らの主体性を社会に対し発露する事はできるようになりたい。自分はそうした思いを抱いて今まで雄弁会で過ごしてきました。自分自身いまだに「雄弁」に向けて努力できているか悩むこともありますが、様々な活動を提供しそれに参画していくことを通じて共に成長していければと思います。

Q4. それでは、最後に一言お願いします。

「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」。1969年の東大闘争の後、東大安田講堂に残されていた落書きです。自らの崇高な理想の為、力及ばずとも最大限の力を尽くし倒れていく。全共闘運動自体には毀誉褒貶あれどこの言葉の重みは死なないだろう。「理想」を追い求めていた去年の自分はそんな考えを持っていました。
しかし雄弁会に入会してから一年半、様々な体験があり自分の考えも去年から大きく変わりました。この言葉も去年に比べれば響かなくなっているような気がします。しかし、それを認めたくない、未だ「理想」を見ていたい、とする気持ちもあります。無論、「理想」とカギカッコに入れられてしまう理想などもはや理想とは呼べないものかもしれません。個々人の「理想」など、我々が社会の中で生きるにあたり日々のコミュニケーションの中ですりつぶされていくだけのものかもしれない。しかし、それは人間が一生を捧げるに値するものであるはずです。ただいつか、再び自分が世界に理想を見ることのできるその日の為に、ここにこの言葉を掲げておきたいと思います。

以上です。ありがとうございました。